「辺縁系」を生きる
この間の「情熱大陸」で、見城徹氏が「作家と編集者の間には、決して越えられない深い河がある」とおっしゃった。見城氏といえば角川書店時代から超・すご腕編集者であり、今はベストセラー続出の幻冬舎社長。大物作家とも対等に付き合える人物と目されている。その見城氏が「自分の中に何かしら強い世界をもっているのが作家で、編集者はそれを持たないニセモノである」と、作家への劣等感めいたものを隠さなかった。
やっぱりそうなのだ。作家はクリエイターだけど、編集者は違う。そこには大きな大きな違いがあるとわたしも思うし、それは作家と編集者の関係だけに当てはまるものではないだろう。
去年から文章を学んでいる「心斎橋大学」の総長・藤本義一先生も、同じような事をおっしゃっていた。同い年の小田実さんが亡くなったその日に、義一先生の講義があり、自然と思い出話になった。小田さんが「ベ平連」を結成したその年に、義一先生は深夜番組「11PM」の司会を始めたそうだ。義一先生はコトの中心に居るよりも、それを周辺から客観的に眺め批評し、伝える立場を選んだ。そういう意味で義一先生はご自分を「辺縁系の男」と表現された。
もちろん、たくさんの小説やドラマ台本を書いてこられた義一先生は、辺縁系であると同時にクリエイターであることは間違いない。しかし、多くの人を率いて信念を貫いた小田さんを尊敬し憧れる気持ちも、どこかにあったのかもしれない。
さて、わたしは自分自身を辺縁系だと思っている。常にどこか冷めていて、熱くなりきれない。熱い人を観察して、ある時は尊敬しある時はひそかに批判したりする(まあ、嫌なタイプね)。 そんな辺縁系の人生を輝かしくするには、いつもそばに熱々のクリエイターが必要だ。つまり辺縁系の人生は、自分ひとりでは決して完結しない。辺縁系はだから、常にクリエイターにコンプレックスを抱くのかもしれない。
ただし、だからと言って辺縁系が自分の人生を生きていない訳ではない。それは見城氏を見れば明らかな事。辺縁系だって、人生の主役。それだけは間違いないからね。頑張らなくちゃね。
今日のわたしは、自分の性格、というか性質と、仕事と、人生について考えてみたのでした。これを読んで下さっているあなたは、ご自分をどちらだと感じますか?
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